2009-06-21
 先日,NHKの歴史番組を見ていると,信長が仮病を使って弟信勝を病床に呼び寄せ,自らの手で刺し殺したと,再現シーンつきで放送されていました。番組を見ながら「これはまずいな」と感じざるを得ませんでした。というのは,あえて信長の酷薄さを強調するために,過剰な演出がなされたように思えてならなかったからです。
 信長が信勝を「自ら刺殺した」というのは,おそらく事実ではありません。番組では当時の宣教師の記録をもとに再現シーンを作っていましたが,記録の用い方がよくないです。

 当時の日本について大部の正確な記録を残してくれた外国人宣教師たちに対しては,時代を超えて感謝と尊敬の念さえ抱きたくなります。しかし,彼らとても,伝聞によって知ったであろう過去の出来事についてはあいまいで,不正確な記述を残していることがあります。
 信勝謀殺についてもそうで,手元にあるフロイスの『日本史』では,事件の起きた場所が清洲であることもわかりませんし,信勝の名さえ出てきません。というか,それ以前に,信長が自分より先に相続がされるのを防ぐため「兄」を殺したのだと,言ってることがちょっといい加減。

 ここはやはり,時期と場所と実際に信勝を討った人名を伝えている『信長公記』の記述が事実を伝えているとみるべきです。『信長公記』では,清洲城で「河尻(秀隆でしょう)・青貝」の二人が信勝を討ったとしています。
 ということで,年表の該当箇所を更新しましたので,お知らせします。ほんとうに久しぶりの更新となりました。

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